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はじめに 「パコと魔法の絵本」という映画を観ました。偏屈おやじと記憶を残せない少女、みなさんの心の中に住んでいそうな(?)病院の仲間達。徐々に変わってゆくおやじ。 ・・・実は関口尚さんがノベライズに関わっているそうです。・・・ ということで、今回の「かがやく岩舟人」は町の「芸術の里づくり事業:ようこそ先輩!課外授業インいわふね」でもみなさん御存知の小説家、関口 尚さんです。コスモス通信第3号で関口さんの第15回小説すばる新人賞受賞作「プリズムの夏」を紹介してから七年目。関口さんから岩舟のみなさん、特にこれからの岩舟を担ってゆく若者達にメッセージをいただけることになりました。合併問題で揺れたここ数年ですが岩舟の魂、プライドはこうした人たちに支えられてゆるぎのない地域として残るでしょう。それでは関口さんからのメッセージをどうぞお読みください。 |
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卒業式といえば、 さて、この『空をつかむまで』では、卒業式で歌われることの多い「旅立ちの日に」をラストシーンで使わせていただいています。昭和47年生まれのぼくにとって卒業式といえば「仰げば尊し」ですが、いまの子供たちには「旅立ちの日に」のほうが定番のようです。そして、この曲の作詞をされたのが、先日残念なことに亡くなられた小嶋登先生でした。 |
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小嶋先生と故郷「岩舟山」 坪田賞の受賞を報告に、小嶋先生に会いに行ったことがあります。2月の寒い時期に秩父に参りました。駅に降り立ち、はっとしたのは武甲山の威容。標高1300メートルの山が町の隅々まで見下ろすように聳え立っていました。会談で武甲山の話題となったとき、小嶋先生はやさしく笑いながら言っていました。 「ふるさとの象徴となる自然があるっていいですよね」 そのときぼくの胸には岩舟山の姿が思い浮かんでいました。 たしかに岩舟山は標高が低いし、観光地でもありません。けれども東京で暮らしているぼくにとって、岩舟に帰ってきたな、といちばん感じるのは岩舟山を見たときです。露出した岩肌が多いせいでしょうか、頑健な印象は頼もしいです。秋に赤く色づいた様子は愛らしくも優美ですし、雪が降れば水墨画の幽玄の美をわたしたちに見せてくれます。 故郷を思い返して思い浮かぶ自然がある。さまざまな表情を持っていて、遠くから見守ってくれている。そのありがたさは故郷を離れるまでわからないことでした。中学校のテニス部のコートから当たり前のように見ていたあの岩舟山。犬の散歩中に何気なく視界に入っていただけの姿。幼い頃にまで思いを馳せれば、いまはもう廃線となってしまった静和駅から佐野までのバスに乗り、岩舟山を横目に揺られていたことを思い出します。断片的な思い出の数々。それがいまこんなにもありがたくなるなんて。 |
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拙著『空をつかむまで』の舞台美里村と岩舟町 再び拙著『空をつかむまで』に触れますが、この物語の舞台である架空の町〈美里村〉は市町村合併でなくなることになります。奇しくもいまの岩舟町と同じ状態ですね。ただ、岩舟町の場合はご存知の通り混迷を極めています。正直に書きますが、聞こえてくる声はうんざりだ、といったものです。町の内外問わずです。 ぼくはもともとは佐野市の生まれです。小学校に上がると同時に引っ越してきました。高校は栃木市でした。両方に愛着があり、優劣はありません。その両方の恩恵にあずかっていまのぼくがあると言っても過言じゃありません。両方の恩恵にあずかれるといったところが岩舟町のよさであったのに、いまは裏目に出てしまっているようですね。 |
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岩舟の豊かな精神性 結果はいずれにせよ出ます。そのときに岩舟町で暮らす人々の心がふたつに割れたりしないことを願ってやみません。生活の面も、文化の面でも、行政の枠組みを通してみれば差異が生まれてくることでしょう。けれども、自分のことを含めて鑑みてみれば、市町村の境を越えて自由におおらかにいろいろと取り入れてきたのが、岩舟町で暮らす人たちのよさであったんじゃないでしょうか。東武線と両毛線が走り、国道50号線が通る、とても抜けのよい土地。固着しないことで得られたゆるやかなで豊かな精神性。そのことは町の名前がいかように変わっても失ってほしくないと思っています。いま岩舟で暮らす子供たちの未来を考えたら、なおさらに。 町名が変わり、枠組みが変わっても、ふるさとの象徴である岩舟山のもとで、いまの町のよさと町民のよさが変わりませんように。切実に願っております。 |
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