輝く岩舟人 岩舟町で活躍中のひと

「輝く岩舟人」では、現在活躍中の岩舟出身の「ひと」をご紹介しています。

第2回 日本通運株式会社特別参与 橋本 章さん
岩舟出身で活躍する「ひと」をとりあげるこの企画。鼓童で活躍する小島千絵子さんに引き続き2回目の今回は日本の物流をリードする日通の橋本 章さんをご紹介いたします。
今回は橋本さんにわざわざ岩舟までおいでいただき、対談形式でふるさと岩舟やお仕事についてお聞きしました。

ご略歴
昭和11年7月4日生。静和小、静和中(現岩中)、栃木高校、昭和34年東京大学法学部卒。
同年日本通運(株)入社。平成5年取締役。9年副社長。11年日通商事(株)社長。14年辞任。
現在は日本通運(株)特別参与。中央労働委員会委員、社会福祉法人賛育会理事長、学校法人聖経学園監事、 日本家庭婦人バスケットボール連盟会長、東京栃中栃高会会長などを兼任。

 それでは平成16年12月8日に畳岡島田宅で行われた対談をどうぞ。


島田均 今日は遠路おいでいただきありがとうございました。わたしは広報誌コスモス通信の編集をやっております。この対談は前 会長島田富雄さんが企画され、荻原副会長のお知り合いのお口添えによりアポイントをいただき、水戸部会長のご理解により実現いたしました。
対談の趣旨は、「岩舟にはなにもない。」というマイナスのイメージの蔓延に対し、岩舟からこんなすばらしい人たちが輩出されているのだ、もっと岩舟を誇りに思おう。自信を持とう。…ということです。それでは前会長に司会進行をお願いします。みなさん膝を崩していきましょう。

全員 (笑) 島田富雄 えー六十八歳ということですが。

橋本 はい六十八歳です。

島田富雄 岩舟にはしょっちゅういらっしゃってるんですか?。

橋本 いえ、ほんとにねえ御無沙汰してるんです。というのが、わたしのうちというのが、一家が和泉に住んでたわけです。わたしの父がそこで耳鼻科医院を開業していて、高齢で辞めるというとき、子供がみんな東京に住んでいましたので東京に引っ越しまして、まあ、親戚はあるのですが、同窓会のとき来るくらいですね。

島田均 今回の企画でアポイントを頂いたときはじめてお父様が耳鼻科を開業されていたと知りまして、わたしも耳鼻科医をしていますので親しみを感じました。
いつ頃まで開業されていたのですか?。

橋本 えーっと、昭和四十年、四十何年かですねえ。

荻原 うちの子供たちは家の前でしたからお世話になりました。

橋本 父はずーと校医をやってましたからそういうことで知られていたんですね。

荻原 あのころはまだ練炭の時代でしたね。暖房をよくお母様がやってらしたから…。

島田富雄 なにか岩舟の思い出とかありまか?。

橋本 今の岩舟について知らないんです。ゴルフで小山に来たとき佐野インターで降りるでしょ。旧50号を通ればちょうど通りに面していたから寄り道してみたり。

島田均 岩舟にはおいくつまで住んでいたんですか?。

橋本 高校卒業までです。もともとは昭和十九年に父は桐生で仕事していたんですが戦争が激しくなり、爆撃目標の両毛線の両側100メートルが強制打ちこわし疎開の対象となり岩舟で開業することになったんです。そのとき下津原の山田さんのところへお世話になりました。


島田均 さきほどお話したのですが、わたしの叔母の実家ですね。

橋本 ええ。それから父のすぐ上の兄が和泉で雑貨屋やってたんです。その隣に桐畑があったんです。

荻原 ええ、ありましたねえ。

橋本 それを切ってそこに家を建てたんです。父が来たのが終戦後だったですね。ですからわたしは小学校2年の夏休みから3年のΙ学期まで岩船小、それからは静和小です。

島田富雄 岩舟小学校も静和小学校も中学校も変わっちゃいました。

橋本 ええ、みんななくなっちゃいました。

水戸部 みんななくなっちゃいましたが、桜の木は残っています。

荻原 東武線沿いの桜はきれいですね。

島田富雄 どうしてお医者さんにならずに東大法科に行ったんですか。?

全員 (笑)

橋本 ははは、あの、おやじが強制しなかったんですよ。なにも言わなかったので子供はそれぞれかってに選んで。わたしの兄は東大の理科U類で昆虫の研究をして博士号をもらって農林省で害虫についてやってました。小金井の農薬検査所です。小金井カントリーの隣です。あとねえ、植物防疫の仕事。水産庁では上田でだいぶ長くいて、鯉についてる寄生虫ですね、研究してました。だからみんな医者にはなりませんでしたね。

島田均 この中央労働委員会というのはどんなお仕事なんですか?。

橋本 特別国家公務員ですね。あの、これは、労使関係の裁判所みたいなものです。だから辞令は総理大臣から出ます。賃金のことなどで労使間で紛争が起こって解決できないとき持ち込まれて解決をはかると…。もうひとつは不当労働行為という言葉を使うんですが、要は従業員が組合活動をしていて、そのためにクビになるとか、どこか飛ばされる、あるいは格下げになる、という問題が起こります。さらに会社が組合活動に不当に介入すると…。それを組合が止めさせてくれという。これらの処理をするのが役目で、両方を呼んで話を聞いて、それで具体的な解決案出すということです。

島田富雄 各県に地労委がありますね。

橋本 そう、地方労働委員会というのがあって、そこが第一段階、裁判所の第一審のようなものですから、そこで一定の結論、判決みたいなもんが出ますね、命令ですけど、それで納得がいかないというとき上がってきます。労使関係の裁判所みたいなもんです。国で任命されてますからあくまでも公正です。通常の裁判と違うのは白黒つけるだけでなく、結論が出た後の労使関係がうまくいくようにするというのが裁判所と違うところです。

島田富雄 水戸部会長何か質問はないですか?。


水戸部 しばらく岩舟を離れていて、最近の岩舟についてはご存じないとのことですが、町が発展してゆく要因というか、こういうところを努力しなくては他から後れるよということがありましたらお聞かせ下さい。

橋本 これは…そういったことを上手くねえ。

全員(笑)

橋本 こういった質問をよく受けるんですが、やっぱりね、自分たちの中だけで考えるというのでなく広くいろんな人の意見を聞くと。しかし、関係ない人がいきなり来たってどうしょもないんだから、何らかの繋がりのあるひと…わたしなんか知らないんだから、外にいても知っているひと、そういうひとのサジェスチョンを受ける場を設けるというのが大事ではないでしょうか。
それから具体的には、岩舟の良さをどうやってわからせるか。それを考えることです。一番手っ取り早いのは、わたしは静和小、静和中を出ていますが、同級生の繋がりですね。同級会をやるというと集まりますよね。ですから、めったに来ないのが来てねえ「ああ、こうゆうとこがあったのか」と。それこそ円仁の話じゃないけどほとんど知らないですよね。

水戸部 そうなんですよね。

橋本 だからまるっきり関係のないひとでなく、何らかの縁のあるひとを来させて、「昔とかわったな」と「こんないいとこがあったのかと」と、あるいは「悪くなったな」と、そういう場、環境をつくればいいんです。そうすれば、一人で来たのが、今度は家族で来ようとか、ですね、そういう広がりが出て来るんです。

島田均 昔は非常に不便なところという印象がありましたけれど、東北自動車道の佐野インターが近いので東京に行くのも非常に便利になりました。佐野市はひたちなか港にあるコンテナ基地を持ってきて通関施設を誘致する構想もあるようですが、北関東道が全面開通すると太平洋と新潟、東京と東北のちょうどクロスするところに岩舟は位置するんです。物流の上からも岩舟の発展する余地というか、重要なところではないでしょうか。

橋本 物流というのは非常に動きが速くてですね、道一本できれば途端に条件が変わるんですね。ですからなかなか恒久的にここでということが望めないんですね。常に動いている。ですからあまり大きな拠点を作るとかえってそれが負担になっちゃうと。それから、ひたちなか港が今後どうなるか。あそこもどうなるかわからないんです。港は造っても、定期貨物船がついてくれなかったらだめなんです。

全員 うーん

橋本 港はコンクリートで固めればできるんですよ、自前で。ところが、そこに具体的に船が行き来するという、トラックが入ってゆくということがなければそこが生きないんです。日本にはそういうとこがいくらでもあるんです。意味をもたせる港にしないとね。福井港なんて巨大なる魚釣り場なんていわれてまして…。

全員 (笑)

橋本 …てなことになっちゃうんです。物流の拠点というのは絶えず動いて流動的なんですね。


水戸部 それじゃ常に動きを見てないと遅れてしまうんですね?。

橋本 遅れるだけじゃなく巨大な投資をしてもそれが生かされなくなっちゃうということもあるんです。

島田均 東北自動車道と北関東道がクロスするところの利点はどうですか?。

橋本 その利点はあると思います。ただ、全国の道路網が整備され、ここは特に東京からの距離が中途半端なんです。

全員 (笑)

橋本 要するに、もっと遠くったっていいわけですよ。今一日で物が届く距離が500キロですから。岩手県くらいの距離は一日で往復すると。ですからあえてここでという考えでなくて、物流のことだけではなく、日帰り出張の範囲も広がってますのでその届く範囲の間というのが寂れちゃうということになるんですね。ですから物流についてはあまり大規模な施設は造らないほうがいいし、それ以外のことでもあるものを利用するという考えがいいんじゃないですか。

(昼食をとりながら)
島田均 野木将軍に似ていらっしゃいますね

橋本 よく言われます。

島田均 我が家には東郷平八郎の書が二つあります。これです。もうぼろぼろです。

橋本 ほう。(全員で書を見る)

島田均 明治時代ひいじいさんが岩船村村長を二十五年間してまして。近衛師団の演習がここでありました。
明治天皇を迎えて。岩船山とすぐそこの丸山で演習をみて。

橋本 ほう。(書を見ながら)「皇国の興廃この一戦にあり…」ですな。

島田均 そのときと退役した大正時代に二度この家に来ています。そのときの書です。

全員 表装しなおしたほうがいいですね。(笑)

島田均 中学生時代にはスポーツはなにかやられていましたか?。

橋本 わたしは卓球をやってました。静和中には先輩で全日本クラスのひとがいたんです。

島田富雄 そうですね、そのころは卓球しかなかったんですよね、あと野球か、「駆け足」しかなかった。

橋本 うちには卓球台がありました。静和、岩舟、藤岡、赤間を含めたスポーツ大会がありました。

島田富雄 東京から来られるとまだ自然が残っている、まだ開発の余地があると思われますか?

橋本 開発と考えるかどうかということですね。むしろ最近では保存という考えがありますよね。自然は貴重な財産だ、ということで一所懸命ね、里山めぐりなんてのがありますが…

全員(笑)


島田均 今、それを目指しているんです。みかも山公園にほたるを飛ばそうと…

でも松食い虫の駆除の空中散布でやられちゃって。

橋本 ほう。

水戸部 公園側との話し合いの結果「範囲を縮小します」ということになりました。ショッピングセンターの光などもあって、今後は場所を考えなくてはいけません。佐野インターに近いので見に来る側からすれば立地条件はよかったんですけど。
次に里山についてご意見を伺いたいんですけど。

橋本 里山っていうのは固定した概念でもないと思うんですけど。ようはちょっとした山があってそこを廻って歩くだけですから。(笑)厳密に考えることはないと思うんですよね。結構そういうところが足りなくて困ってるんですよ。

島田富雄 じゃ具体的には岩舟出身のひとに声かけて、いらっしゃいと。

橋本 あの、前の栃木市長が蔵の町親善大使というのを創って、わたしもその一人に選ばれたんですが、東京にやってきては栃木市をどうやって発展させるかと相談に来たんです。そのときも今日と同じ話をして、栃木にはたくさんの学校があると。その出身者の、同窓会を十年に一回栃木でやったって相当な人が栃木に集まると。何万人ですよ。それを学校に働きかけてやりなさいと。栃高では卒業したら五十年目にやりましょうということだけきめてあるんです。一昨年から。

島田富雄 栃女は二十五年かな?

荻原 ずーとやってます。はじめはそうでしたが三十年四十年と。

橋本 ほらそうでしょう。必ず一回やると決めておけばなんだかんだで回数が増えるんですよ。

全員 今日は貴重なお話しをありがとうございました。

※橋本章さんは平成十四年八月二十二日、町のために100万円を寄付されています。
このご寄付は、図書購入費として使わせていただき、現在岩舟中学校図書館に「橋本文庫」として設置されています。

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